少し前に議論になった話題で、寿司屋でシャリを残す食べ方がマナー違反かどうかというものがありました。
糖質制限ダイエットなどの影響で、炭水化物であるシャリを残す食べ方をしている人が増えたという話題です。
その食べ方をしていることが知られてしまたタレントが非難されたこともありました。
この例に代表されるように、総じて否定的な意見が多く見られました。
一方、戦前の将棋界で活躍した木村義雄という名人がいます。
彼は当時の人気棋士で、相撲の双葉山と並び称されるほどでした。
それ以前の将棋の名人位はなんと世襲制で、名人が最強というわけではなかったのですが、ちょうど彼の時代から、実力制名人になり、名人=最強という図式が成り立ったことも大きな背景です。
加えて、生粋の江戸っ子で、粋な人物として知られています。
有名なエピソードとして、こんな話があります。
>(前略、木村は)うな重が出されると、蓋を取って茶を注ぎ蓋をする。
ややあって蓋を取り、うなぎをポイと捨て、茶漬けにお新香をおかずに、さらさらと食べる。
それが通の食べ方で、木村はそうしていたとか。
うなぎをポイと捨てるところがいい、と芹沢はそこをくり返した。
(河口俊彦「評伝 木村義雄」『将棋世界』2014年1月号)
なるほど。
確かに素人には真似のできない食べ方です。
ですが、いかがでしょう。
前述の寿司の食べ方と、本質的に変わるところはないはずです。
それなのに、一方は非難され、もう一方は賞賛されます。
この違いはどこに起因するのでしょうか。
いくつかの要因はありますが、大きなものの一つは、求められている役割の違いです。
「清純で礼儀正しくてカワイイ」役割を求められているタレントがやると、行儀が悪く、はしたない行為として非難されます。
「型破りで強い」役割を求められている名人がやると、粋で玄人好みの所作として賞賛されます。
「誰がやるか」が評価を分けることになります。
ここでの「誰が」は、どんな役割を求められている人か、という意味です。
時代は戻って、現在。
コーチ・コンサルタント・プロデューサー・・・
ここ10年位で様々な職業が現れました。
正確な統計はありませんが、そう名乗っている方の数は相当増えています。
数が増えると、必然的に格差も広がります。
同じ職業の中でも人気を集める人と、そうでない人が生まれます。
その差は何かといえば、突き詰めると「誰がやっているか」の違いです。
実績のある人、知名度がある人がやればそれだけで人は集まります。
逆説的に、実績や知名度を獲得するために努力するという側面もあります。
ここでの「誰が」は、それを行うのにふさわしい理由を持っている人か、という意味です。
資格を持っている、実績がある、経験がある・・・何かふさわしい理由があれば、その人に頼む動機になります。
よく、補助金・助成金申請の際、事業計画書に、「「誰が」を書くことが大事です」と説明するのですが、多くの方が「私が」とか「当社が」と記載します。
間違ってはいませんが、同時に、アピールにもなっていません。
補助金も助成金も原資は税金なわけです。
その使い道として「誰が」ふさわしいのか、それを説明することが採択への近道です。